2004年1月、『ハッピー・トーク』を片手に倫敦の街を歩いてきました。
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第1巻034頁、新聞社へ向かう途中の第1通過地点。1810年から1918年までの時期には存在していたことが確認されています。現在では、ブラックフライアーズの駅前にあたります。
資料出所 : http://www.british-history.ac.uk/
第1巻034頁、新聞社へ向かう途中の第2通過地点。[08]イングランド銀行および王立証券取引所方面から、マンション・ハウス(Mansion House)を経由してブラックフライアーズ駅へ向かう道。
第1巻034頁、新聞社へ向かう途中の第3通過地点。BC66、ラド王によりシティ(City)の門が設けられていた場所。1760年撤去。ニューブリッジ通りと[04]フリート街の交差点で、大変にぎわっていました。デイジーは、ブラックフライアーズ駅を通り過ぎたあと、右折してニューブリッジ通り(地図中の[2]と[3]を南北に結ぶ通り)を経由し、この交差点に入ったと思われます。
第1巻34頁、広告を出しにいったデイジーの目的地。第2巻72頁でも、デイジーは「ザ・タイムズ」社の前まで行って引き返しています。かつて、この通り沿いに出版関係の企業が軒を連ねており、デイリー・ベルズ新聞社もこの通りの外れにありました。今日、「ザ・タイムズ」などの報道機関は市内東部のドックランズに移転しており、この地にはありません。
第1巻49頁、グレン=ライアンが紹介した最寄りの市場。第1巻25頁では、ノエルの「そのひな菊コヴェントガーデンで売り飛ばそうぜ」という台詞にも出てくる。ミュージカル『マイ・フェア・レディ』において、花売りのイライザがヒギンズ教授と出会った青果市場。1974年に移転しており、現在は“The Market”という洒落たショッピングモールに変わっています。
http://www.covent-garden.co.uk/
第1巻53-55頁、ジャガイモに魔法をかけたデイジーが、ジョンの追跡を振り切るべく飛び降りた橋だろう。コヴェントガーテンからの距離は、およそ400m。
ハミルトン商会の所在地。地名が出てくるのは、第1巻85頁。セントラル・マーケットより先では “Farringdon Rd.” と名称を変え、ホテル・ロンドン・ライアン(Hotel London Ryan)の手前まで続く。
古い写真を見たところ、第1巻104頁上段に描き込まれている風景は、ファーリンドン街を南側から眺めたものであることが確かめられた。ここに掲載した写真は同じ位置からの撮影を試みたものであるが、当時を偲ぶのは困難である。
第1巻114頁。グレンがフロリン銀貨を鑑定してもらうべく訪れた銀行。1694年に創立された英国の中央銀行であり、通貨の発行を行っている。日本における日本銀行と同様の位置づけ。博物館が併設されており、内部見学も可能。建物は拡張工事が行われたため違いが生じているが、100年前の写真や絵画を見ると、街灯に至る細部まで同一の光景を見ることができる。
http://www.bankofengland.co.uk/
第1巻125, 172頁、ノエル達が新聞を売っていた場所。第1巻170頁、おばちゃんの「デイジーの手品見に いつもピカデリーに行くんだよ」という台詞から確定。第2巻20頁ではデイジーがダムに新聞を無償提供し、第2巻80頁ではデイジーがダムと出会っているなど、登場回数も多いです。
背景に描き込まれている弓を構えた天使は、エロスの像(Eros, Shaftesbury Memorial Fountain)。1893年に完成。よって、デイジーのロンドン来訪はこの年以降ということになる。さらにヴィクトリア女王の治世は1901年までなので、期間は9年間に限定される。ということは、デイジー嬢は存命していたら115歳以上――
左側に見える三角屋根の建物はトロカデロ(Trockadero)で、広場の北側に今日でも変わらぬ姿を見ることができます。
注) 著作権への配慮から、写真の一部をぼかしております。
繁華街の中心ということもあって人通りが多く、終日にぎわっています。取材中、手にしていた単行本は注目を浴びました。やはりデイジー嬢のかわいさは、世界の人が認めるところなのでしょう。撮影に没頭している東洋人の奇怪な行動を怪しんでいたのではない――と信じたい(^^;
http://www.capital-calling.com/london-areas/london/piccadilly.htm
第3巻101頁、デイジー捜索隊の集合場所。1973年に掛け替えられたとのことで、どう見ても落ちそうにはありませんでした(笑)
第1巻144-154頁、テムズ川で尾形光琳。テムズ川(River Thames)上流のこと。ロンドン橋を基準点とした西側の地域。なお、海へ向かう船に対し、デイジーは左舷から飛び乗っているため、ジェイムズ=ルイス船長宅はテムズ川左岸に限定される。今日「アッパーテムズ」とは、一般にキュー・ガーデンズ(Royal Botanis Garden, Kew)がある辺りのことを指す。しかし『ハッピー・トーク』に於けるアッパーテムズ、すなわちデイジーが暮らしていた場所は、アッパー・テムズ通り(Upper Thames St.)に沿った地域のことではないかと推察される。その根拠は、次項[12]で説明する。
第2巻22頁、43頁以下、117頁。パブ“Old Lion”の所在地。ダムの「明日はロウアテムズで仕事だ」という台詞から判明。先述のアッパーテムズ通りは、ロンドン橋から東ではロワー・テムズ通り(Lower Thames St.)と名称を変え、ロンドン塔(Tower of London)へと東進する。
第2巻43頁においてデイジーは、ロウア・テムズにある「老ライオン」まで、ジェムおじさんを迎えに出かけている。この事実は、パブがあるのはロウアテムズ、ルイス家はアッパーテムズと街区は異なるものの、ロンドン橋を挟んでさほど離れていない場所に2つの地点が存在していたことを示す有力な材料である。
仮にデイジーの家をキャノン・ストリート駅(Cannon St. Stn.)の近辺と想定すると、デイリー・ベルズ新聞社までの道は地図中に示した[11]-[01]-[02]-[03]-[04]の順となり、メモ(第1巻34頁)に書かれていた地名の順序に整合性がとれる。
作中、橋が出てくるが(第2巻140頁)、その構造から、[C]ブラックフライアーズ橋、ブラックフラアーズ鉄道橋、下流にあるタワー・ブリッジ(Tower Bridge)である可能性は否定される (手持ちのガイドにある橋の写真と一致しない)。[D]ミレニアム橋は近年作られた新しい橋なので論外。よって、サザーク橋かロンドン橋であろう。
当時、キャノン駅とロンドン橋の間に船着き場(pier)があったので、その近くに住んでいたと考えてよさそうである。
第2巻11頁、「黒猫」の出現場所。ロンドン市内西部。[09]ピカデリー・サーカスから発する通りの名で、クアドラント(The Quadrant)と称される緩やかな弧を描いて北西方向に伸び、オックスフォード・サーカス(Oxford Circus)へ至る。現在では、高級ショッピング街で、衣料品店が軒を連ねている。
第2巻20頁、チビの歌の中で、「♪聖クレメントのかねがなる〜」という節に登場する(だけ)。ウエストミンスターのストランドと、イーストチープとの2説があるらしい。
第2巻079, 101, 103-110頁。偽フロリン銀貨の発見場所(下水道内)。テムズ川南岸。ダムとディの家も、この地域にあったらしい。現在、再開発が進められている。2000年に開館した美術館テート・モダン(Tate Modern)がかつてのバンクサイド火力発電所であったということは、この地帯がかつては工業地帯であったという成り立ちをうかがわせるものです。
第3巻68頁。夕闇に浮かぶシルエットでしかありませんが、左側に見える塔はビッグ・ベン(Big Ben)であることに間違いないでしょう(この時計塔は、学校のチャイムでおなじみ)。となると、右隣に並んでいるのは、同じく国会議事堂にあるヴィクトリアの塔(Victoria Tower)です。さて、この絵を良く見ると、どう見てもビッグ・ベンの方が大きく見えます。このような構図になるのは、[虎]トラファルガー広場(Trafalgar Sq.)方向からでしかありえません。ダム&ディの家はサザークであるということが分かっていますが、方向が一致しません。よって、グレンが囚われていたのはヴィクトリア(=アーシュラ)の家ということになります(チェストが置いてありますし)。これにより、ヴィクトリア家は国会議事堂から見て北北西の方角であることまでは推定できるのですが、距離が分からないため場所の絞り込みができません。
第3巻124, 127頁。ハミルトン商会の顧客であるスミス氏の所在地。ロンドン市内北西部、ユーストン駅の近辺。“Street”と“Road”があるが、どちらなのか定かではない。
第3巻75頁。かつて城壁に囲まれていたシティ(City)の外側に当たる場所のうち、東方の一帯。ロンドンの下町。バービカン(Barbican)、リヴァプール・ストリート駅(Liverpool St.Stn.)、ロンドン塔以遠の地域を指す。
第3巻132頁。ロンドン市内西部にある広大な公園。1851年、この場所で第1回万国博覧会が開催され、クリスタル・パレス(Crystal Palace、水晶宮)が建設された。予定地に生えていた樹木を保存するため、切り倒さずに建物に取り込むという大胆な構造にしたのだとか。その模型は、ヴィクトリア&アルバート博物館(Victoria & Albert Museum)で見ることができます。この博物館は万国博覧会で得た利益によって建設されており、その展示物も博覧会の流れを汲むもの。様々な調度品が見物です。ちなみに「アルバート」というのはヴィクトリア女王の夫君の名でして、この人物の尽力により博覧会は開催にこぎつけたということです。
第3巻120頁。郊外にある地名。
第3巻132, 141, 143頁および157頁以下。ロンドンの南東6マイル。クリスタル・パレスが移設された場所。惜しくも火災により焼失している。というのも、床を木材でふいていたため。貴重な展示物の数々とともに、灰になってしまった。
第1巻9頁、第2巻119頁。イングランド北部、スコットランドと国境を接する地域にあった州。現在ではカンブリア州(Cumbria)に併合されている。
第1巻39頁。イングランド北部、カンバーランド一帯を指す呼称。「湖水地方」とも称される。ピーター・ラビットや、詩人ワーズワースの故郷。国立公園に指定されている。南部のウィンダミア(Windermere)まで、ロンドン(ユーストン駅)から鉄道で約5時間(オクセンホーム乗り継ぎ)。マンチェスターからの直通便もあり。北部のカーライル(Carlisle)までは、エジンバラから鉄道で1時間半。
なお、「フォクスグローブ村」の存在は確認できていない。
英国の19世紀末、ヴィクトリア時代に興味を持たれた方に、次の本をお薦めします。デイジー嬢と同時期に活躍した名探偵の事件簿ですが、『ハッピー・トーク』にも登場する場所の写真が数多く収録されており、とても参考になります。
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