岡野史佳作品データベースの点検作業をしていたときのこと。「ラヴェンダーの軌跡」に出てくる博物館と、「時のさまよい」に出てくる自動人形展会場とでは、建物に共通点があることに気が付きました。前者は1988年(昭和63年)、後者は1992年(平成4年)の作品です。執筆時期が離れているにも関わらずこのような類似が見られるということは、そこに作者からのメッセージを読みとることができます。
はたして、事前調査で出てきたのは実に興味深いものでした。ヌーシャテルには「歴史美術博物館」が実在しており、オートマタ(自動人形)を語るうえでこの上もなく重要な場所であるというのです。
そこに『少年宇宙』へと繋がる扉があるという確信を得た筆者は、少し遅めの夏休みをとり、9月上旬のスイスへと向かいました。
「
ミュリエル=ユグナン(25頁)
ジャン=ジャリーが『少年宇宙』へと帰っていった時(114頁)から姿を変えることなく、歴史美術博物館(Musee d'Art et Historie)は我々の訪れを待っていました。そして、ミュリエルが教えてくれたオートマタ達も。
ヌーシャテル湖に面して立つ博物館は、およそ100年前に建てられたもの。散逸していた自動人形達を呼び戻すために用意された、オートマタのための館です。作中では、石段の数まで正確に描写されています。
ここには、18世紀の時計技術者ジャケ=ドロー父子(Pierre Jaquet-Droz 1721-1790, Henri-Louis Jaquet-Droz 1752-1791)によって産み出された自動人形のうち、現存する3体が納められています。なお、行方がわからなくなっているものが、1体あるのだとか。
スイスの時計産業は広く知られているところですが、ここヌーシャテルの近辺が最も発達しています。話は16世紀の宗教改革に遡ります。フランスで迫害を受けた新教徒(ユグノー)は、ジュネーヴで改革を指導していたカルヴァンを頼りスイスへと逃れてきました。フランスとの国境をなすジュラ山脈の奥深くに住み着いた職人達は、質実であることを善しとするプロテスタントの教えに適うものとして時計作りを始めたのだそうです。時代が下るにつれ、時計職人は自分の力量を示そうと様々な細工を施すようになりました。そうしてオートマタが生まれてきたのです。最後の人形師と謳われたアンリ=フレアマンは、こうした流れの辿り着く場所にいた人物でありました。
さて、ジャケ=ドローの手がけた自動人形ですが、今日においてもその動く姿を目にすることができます。
実演は、たっぷり1時間かけて行われます。まずスライドで解説が上映された後、書記君(L'Ecrivain)が羽根ペンで短文を記します。そして次に、画家君(le Dessinateur)が鉛筆で絵を描いてみせます。とても流暢で、歯車とねじの詰まった230年前の人形とは思えない動きです。
最後に音楽家嬢(la Musicienne)が、小さなパイプオルガンを弾きます。近くで見ていると、呼吸にあわせて胸をふくらませていることがわかります。
この実演が行われるのは、「毎月第1日曜日の14/15/16時」だけ。ぜひ日程を合わせてヌーシャテルを訪ねてみてください。筆者はというと、気が付いたのが8月下旬に入ってからだったもので、あわてて10日後の航空券を予約しました(^^;
駅から降りてくる坂道の途中、信号待ちをしていたときに右手の旧市街に目をやると、あっけなくそこに見つかりました。
単行本48ページ中央にある、ミュリエルとレオンがヌーシャテルにやってきたときの光景です。鉄道を使ってやってきたのなら、この道を通るのが自然。コレジアル教会へ向かう道沿いに建つ、時計塔(Tour de Diesse)です。
いらぬこだわりで、作中と同じ時刻にも撮影しました。日が暮れてしまっており、コントラストがはっきりしません。本当は午前の話なのですけれど、早起きしてまでやる気は起こらなかったので……。
時計塔の手前の角を左に折れると、この街でもっともにぎやかな一帯、市場広場(Place de Halles)にでます。朝市が開かれたりしておりましたので、玩具見本市もここを会場にしていたものと思われます。正面には、中央市場(Maison des Halles)が建っています。1570年頃に築かれたもので、いまはレストランとして利用されています。48頁に登場。
ここ、真ん中に重ねられた時計塔のコマに気を取られていて、危うく見逃すところでした。自然史博物館に置かれていた観光案内にちょうどこの角度から撮影した写真があって、それでようやく気がつきました。
角度を変えてみると、右側の部分は出窓のように通りへ突き出ているのがわかります。また、少し後ろへ下がると、時計塔も一緒に見ることができます。
ちなみに、最初の写真をよく見ると興味深いものが写っています。日本では、電柱と電信柱の無い空間の方がめずらしいように思います。しかしヨーロッパの都市では、並び立つコンクリート柱や、空を走る電線というものはお目にかかりません。それがスイスでは、街灯すら姿を変えていました。建物と建物の間にケーブルを渡し、そこにぶら下がっているのです。「時のさまよい」の中でマドレーヌが綱渡りをしていましたが(22頁)、これならどこでも練習できそう。
――と言っておきながらなんですが、「トイズ・ヒル」には街灯が立っているんですよね……(73頁)。
引き続き48頁。ミュリエルが乗ってきた列車を探してみたところ、最も近いのがこれでした。ヌーシャテル駅にて撮影。
帰路、ジュネーヴ(コルナヴァン駅)に立ち寄ったときのこと。そっくりな列車が来ないかな〜と構内を歩き回っているうちに、たまたま見つけたのが次の写真。1番ホームCセクターの天井です。作中では左上のコマ、2人が降車する場面と見比べてみてください。
『少年宇宙』は、実在の街をかなり忠実に再現しているのがわかりましたので、フレアマン博士のオートマタ工房も見られるのではないかと探し歩いてみました。まず、手がかりを整理しておきましょう。
ヌーシャテルは、人口32,000のこじんまりとした街です。歴史美術博物館から旧市街の西端まで行っても徒歩10分ほど。この距離ならば、ジャン=ジャリーの腕も保ちそう。旧市街には古い石畳が残されていますが、作中で出てきたのと同じように半円を描いています。
しかし、工房に使われていたとおぼしき建物は見つけられませんでした。おそらく引き払われた工房跡は、人手に渡って改装されてしまったのでしょう。惜しいことです。
コンラッドの瞳は「スイスの森と湖を思わせる」緑色。こちら側の世界で舞台としているヌーシャテルは、美しい湖に面し、背後に森を抱えています。
「フラクタル・メモリー」でも窓の形は同じなので、先代の頃から人形工房はヌーシャテルにあったようです。この写真だとすぐ近くに森があるように見えますが、傾斜地になっているので結構大変。病弱だったコンラッド少年にとっては、かなりの負担をかけたのだと思います。
船で湖の上に出てみたところ、ヌーシャテル湖の水は森の色をしていました。写真だと再現できていないのですが、心に染み入る美しさ。小笠原で見た海は限りなく澄んでいて強さを感じる水色でしたけれど、こちらはとっても優しい色。
ミュリエルにも会っておきたかったのですが(レオンはどうでもいい・笑)、明かされている情報が少なすぎて場所が分かりませんでした。何せ、実質的な手がかりは教会の塔(6頁)だけ。「ジュラ地方」というと、レマン湖の北岸からヌーシャテルの西側にかけての地域を指すようです。くまなく見て回るのは、無理というもの。まぎらわしいことに「ジュラ州」というのがあるのですが、ここはドイツ語圏なので違うみたい。
試しに、ヌーシャテルから3駅、乗車時間にして20分ほど離れた「レ=ジュヌヴェ=シュル=コフラーヌ」という村を訪れてみました。ジュラ山脈は造山活動が終了してから時間が経過しているのか、山脈といっても稜線はなだらか。静かな高原といった趣でした。
なお、地質時代の「ジュラ紀」は、この山が語源。岡野史佳世界では、『イリスの卵』のヒロインの名としても関わってきます。そんな環境で育ったフレアマン博士ですから、部屋に恐竜の骨格標本を飾っているのもうなずける話。
おまけ。かなり苦しいですが、52頁のつもり(^^;) 博物館内で、ゲリラ活動してきました。
(C) 2003 おおいしげん