りるふぃの小笠原紀行


この文章は、メールマガジン 「デイリー・ベルズ日本語版」 第35号で紹介されたものの原文です。


 2001年9月15日〜20日──。
 おーいし編集主幹ら 「君の海へ行こう」 取材班7名が、小笠原OFFを敢行したのは、すでに半年前のこと。居残り組の期待(と嫉妬と羨望)を一身に担った一行が満面の笑みを浮かべて竹芝桟橋を後にしたのは記憶に新しい。

 デイリー・ベルズ日本語版・第24号での記事にて、 「 『たぶん取材じゃなくて、遊んでると思うなぁ』 残留記者:談 』 とあったのは、大筋において当たっているのだが、それでも短い日程の中で、各自、思い思いに取材を全うした(ように)思う。この場合、ダイビングやシュノーケリング自体が取材であると言えるし、船酔いに苦しみ、歩きづらい遊歩道に悩まされながらも、朝日を見たり、朝食抜きで先発調査をおこなったメンバーまでいた。

 最終日、出航の日の午前中、早朝取材を終えたS氏の話を聞き、残り取材班4名が 「中山峠」 の取材に出発。到着してから続いていたどんより天気が、うそのように晴れ渡っていた。 「もうちょっと早く晴れてくれよぉ」…。 そんな気持ちを吹き飛ばすべく、村営バスの運転手はあざやかな観光ガイドを披露してくれた。下手な観光バスガイドよりよっぽどおもしろい。ギャグを交えながら、わざわざ道の真ん中で停車して説明してくれる。路線バスとは思えない。きっと東京だったらアウトだろう。いや小笠原も東京都内か…。

 あまりのインパクトにクラクラしつつ、終点から中山峠に向かう。峠というだけあって勾配はきつく、足下が悪い。それでもこの天気と期待感に取材班の足取りは軽い。標高を稼ぐとともに、どんどん視界が広がっていく。雄大な景色。涙が出そうだ。

 教科書「君の海へ行こう」41ページ下の景色。そう、広洋君と琴里ちゃんは、シルバーリングの「天国」と、ここ中山峠の「天国」によって、二人の心は解け、心を通じ合わせ始めたのだと思う。

 それに比べ、単行本を手にお互いにポーズをとって記念撮影を行う一行。妖しい。この晴れ晴れとした景色の中に一点の曇りを見た (自分を含めて) 。

 帰路の途につこうとしたそのとき、あるガイドブックをめくっていると、ふと目に飛び込んできた写真があった。 教科書132ページ右下のコマと比べていただくと、取材班の驚きようが想像できるだろう。 普段ならすぐに実地検証したいところだが、時すでに遅かった。 出航時間が近づいていたのだ。

 このガイドブックは、「Dolphin & Nature Watching イルカに会いたいあなたへ─」(アイサーチ・ジャパン編/誠文堂新光社発行/1,560円+税)というもの。

 ちなみにこの本、発行は1996年と古いのだが、ことドルフィンウォッチングガイドとして見た場合、なかなか参考になり楽しめる一冊になっている。少しでも興味がある方はぜひご一読をおすすめしたい。 読み終えた頃には、きっと次回小笠原OFFの一員になることを決心しているだろう。

 結果的に、現地3日間という時間は短かったと思う。取材の後、東京都議会で小笠原空港の白紙撤回が決まった。自然保護の観点からということだが、島民にとってはまさに生活の絆、場合によっては命に関わるもの。人が優先か、自然が優先か、昔から言い尽くされてきたことだ。とはいえ、交通が便利になり、人が押し寄せた結果、あのイルカたちの表情が見られなくなってしまうのはやりきれない…と思うのは、やはり部外者のエゴなのだろうか。

─ おまけ ─

 取材時点で本格的にダイビングをしたのは、ささい記者とFUMI氏の3人でしたが、残りの取材班もシュノーケリングと体験ダイビングで楽しさを満喫したようです。 私もその一人ですが、船酔いはつらかった。思わず口ずさんでしまいました…

 「(キテレツ大百科OP改で)♪ あぁ〜海はこんなに青いのに〜、風はこんなに暖かいのに、どうしてこんなにつらいの♪」

 後日、ダイビングをやってる職場の人にそのことを話すと、「憧れの地にいきなり行くな!」と、いぢめられました。小笠原は近くて遠い、ダイビング仲間にとって沖縄以上の聖地だそうです。 それはともかく、これを読んで少しでも興味を持たれた方は、小笠原に一度行かれることを強くおすすめします。人生観が変わるかもしれません。もっともインド・ネパールに行ったときに同じことを思って、結局あまり変わっていない私ですので、信用はできませんが…。


もどる