『オリジナル・シン』第1巻121頁から122頁にかけての記述で、アノニマの語源は“anonim”であるとされています。さて、これは何語だろうと考えてみました。
まず、南米が舞台ということでスペイン語から当たってみました。すると、
というのがありますが、スペイン語には語尾の“o”や“a”が無い形(anonim)はありません。
では英語かと思いましたが、収録語数40万語を誇るランダムハウス英和大辞典を調べても見つかりません。しかも、英語だと同義の言葉は“anonym”であり、“i”ではないのです。
語源をさかのぼってみますと、この言葉はラテン語、もっと突き詰めるとギリシア語から発する言葉だというのがわかりましたが、
であり、いずれも“y”による表記なのです。
念のため他のヨーロッパ言語も調べてみましたが、フランス語“anonyme”、ドイツ語“anonym”であり、むしろ離れていってしまいます。唯一、イタリア語だけが“anonimo”になるのですが、南米で活動中である状況からすればスペイン語である可能性の方が強いといえましょう。
余談ですが、スペイン語において“y”は「イ・グリエーガ」と称されます。これは「ギリシア語のi」という意味です。『い』という音を表すのに、スペイン語では“i”を使うのが基本であり、他言語の“y”は“i”に変換されることが通例です。このような言語的特徴を考慮すると、やはり“anonima”がスペイン語であるとの推測を後押しするものと思われます。
南米ということならば、ポルトガル語も考慮すべきかもしれません。ひとくちに南米といってもブラジルだけはポルトガル語圏になるからです。しかも、第1巻144頁を参照するとハイビスカスらしき花があることや、同60頁他によれば樹木の丈がかなり高いことから熱帯の植生にある地域であることがうかがえます。このような熱帯雨林は、ブラジルのセルバ(ジャングル)に代表されるものだからです。
しかしながら、いくつかの事情を考慮するに、リラたちの活動地域がブラジルである可能性は否定されます。古代人が発見された洞窟遺跡は海抜5,000mの地点にあり(第1巻8頁)、2023年10月の時点でアノニマ達が活動していた国に洞窟がある(同112頁;クルージ発言)ことが示されているからです。南米において海抜5,000mを越える高山があるのはアンデス山脈に沿った国々であり、ブラジルとは考えがたいからです。
こうして考えてみると、リラ達が反政府活動を行っていた地域は限定されたものになってきます。密林地帯でありながら、スペイン語圏であるところ── おそらくアマゾン川の源流地帯、ペルー北東部でブラジル・コロンビアとの国境に近い地帯でしょう。コロンビア南東部である可能性も否定しがたいのですが、日系人が大統領である(63頁;リラ発言)ことからすれば、すでに西暦1990年代の時点で日系人大統領が誕生しているペルーの方が、「大統領の家柄」というリラの言葉に適合するものでしょう。「家柄」というからには数代に渡って大統領を輩出している状況にあることが推測され、時間的にいえばペルーの方がコロンビアよりも優位に立ちます。また、インカ帝国の都クスコがあることも忘れるべきではないでしょう。
もっとも、作中での時代表記は「2023年」と述べているものであって、それが西暦なのかどうかは明確ではなく、注意を要するところです。
スペイン語の話に戻りますが、「世界のミステリー研究会」が収集した情報において「語源」とされているものは、スペイン語の語尾を除いた部分を指す「語幹」の言い間違いかと考えることもできます。しかし、そう考えるためには重大な難点があります。アノニマは「女」でなければならないのです。
スペイン語に「匿名」を意味する単語が2通り(anonimo、anonima)あるのは男女によって使い分けられるからです。英語では廃れてしまっていますが、ヨーロッパ言語にあっては物に男女の区別をつけるのが一般的です(いわゆる男性名詞・女性名詞の区別)。詳しいところはおいておきますが、“anonimo、anonima”の場合、末尾が“o”は男性で、“a”だと女性になってしまいます。
第1巻63頁や65頁から、アノニマに喉仏があることを確認できますから、おそらく大丈夫だとは思われますが、彼(彼女)が服を脱ぎ去ったとき、真実が明かされるのかもしれません。
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なお、単行本未収録ではありますが、1999年2月号においては“anonyma”と表されています。もしかしてもしかすると、ミステリ研の沽券(こけん)とは、思ったほどではないのかも。
注記) これは、単行本第1巻の発売直後に書いたものです。
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